Mittwoch, 21. März 2012

脱原発への道 東京にて、2012年2月3日

<脱原発への道>
                 
1.科学技術にはつねに正と負の両面性がありますが、
  科学技術の発展に伴い、科学技術がもたらす利得、
  即ち正の部分にますます目が眩み、負としての危険性が
  軽視され、その結果大事故が起きて当事者当事国の
  責任能力をはるかに超える被害が発生し、その度に
  その責任の所在がうやむやにされてしまうパターンが
  世界中でくりかえされてきました。<1984年インド・
  Bhopal市におけるUnionCarbide社の化学工場の
  大規模毒ガス事故、1986年ソビエト連邦Tschernobyl
  原発事故、2010年メキシコ湾海底油田掘削施設爆発に
  よる大量原油の流出事故、2011年日本福島原発事故等々>

2.繰り返される事故が示すとおり、人間の行為から不注意と
  誤りを除くことが不可能な以上、100%無事故で安全な
  科学技術は有り得ません。

3.従っていかなる科学技術であれ、その実用化の
  是非の第一前提条件は、
  <いかに安全な技術か>ではなく、
    <いかに責任の取れる技術か>
  でなければなりません。
  即ち、
  <事故により発生しうる被害が当事者の責任範囲で
   対応可能である事>と
  <事故により発生しうる被害が掌握可能で時間的
   空間的に限ぎられ、相応のすみやかな修復・保障が
   可能である事>
  です。
   
4.上記3.に鑑みれば、本来なら実用化してはいけない
  はずの、即ち、万一にそなえての被害対策が未解決の
  ままの科学技術が国家や大資本の利権を優先する形で
  世界の主要国で実用化されており、それによる市民の
  将来にわたる生命と自然環境破壊の危険はおざなりに
  されたままです。そして、その代表例が原発です。

. 困難な日本の反原発運動: 

5.1 責任感と民主的理念に欠ける日本の政党・政治家:
1955年日本で原発が国策として正式に発足した背景には、米ソ
2大強国の対立の中で米側に立つ日本の与党政治家及び官僚が
軍事的側面にも関連する原子力技術の開発とその一環としての
原発を最重要視してきた過程があります。その中で、与党政治家
及び官僚は、電力会社を独占的に支援保護し、それに大手重電機
メーカーも加わった原発結束3者グループが、原発推進とその
製造輸出も含めた利権確保を最優先させ、地震大国日本で原発を
使用することが国民の安全と環境を測り知れない危険に晒しかね
ない事を充分承知しながらそれをないがしろにして来ました。
その云わば当然の結果として、20113月に取り返しのつかない
原発事故が福島で発生した中で、日本政府も官僚も東電も万一の
原発大事故に備えての何の安全対策も準備していなかったことが
露呈しました。その対応はまさに場当たり的で無責任極まりなく
挙句の果ては、今後一生の間、そしてさらにその子孫へと被曝
汚染の脅威に晒され続けることになる膨大な人数の市民に対する
何の適切な対応策も取れぬまま、さらにその同じ国民の税金を
重大な加害者であり、当然倒産すべき東電の膨大な資金不足に
充当させるという不正が行われております。なぜ、このような
企業を支援する必要があるのでしょうか。なぜ、このような
企業の責任者は犯罪者として厳しく告発され裁かれないので
しょうか。なぜ、東電を倒産させ、同社の発電・配電施設を
自由な競売にかけ、複数の新しい電力会社に電力事業を引き
継がせたうえで、東電の負債額の始末についてはすべてを公表
した上で国民の声に耳を傾け、国民に出来るだけ納得の行く形
で対処しようとしないのでしょうか。
この加害者たる東電にたいする政府・官僚の不当な支援の背後
には、自分達の保身と東電の倒産による民間の銀行をはじめと
する大口株主の損害問題、この後の電力事業におけるかれらの
独占的な行政権及びその利権の損失を防ごうとする本心がちら
ついています。

5.2 既成権力に弱い、事なかれ主義の国民性:
徳川幕府の狡猾にして巧妙な政策によって、自分たちの
権力保持に都合の良い平民を作り上げるため、上位に
従順たるを美徳とする生き方が日本人全体に徹底的に
叩き込まれ、それが既成の権力に弱く、独立心と批判精神の
乏しい事なかれ主義という大多数の日本人の洗脳され
た国民性となり、それが今日にまで脈々と持続し、害毒を
及ぼしています。つまり、たとえどのような上からの
指示であれ、自分が納得しなければ、最後まで問い詰める
勇気と批判精神が国民にあってこそ民主主義が正しく機能する
訳ですが、日本には、そのような自立性と批判能力をそだてる
教育が上に立つ行政によって意識的になおざりにされつづけ、
日本はその意味で未だに、形ばかりの民主主義国家であるに
すぎません。

5.3 残念ながら、そういった事なかれ主義の国民性の
ためか、大多数の日本人は、唯一被爆国民であり、しかも
原発事故の可能性がより高い地震国 ―という事はいつ巨大
地震や津波が発生し、原発事故につながっても不思議では
ない― であることを充分知りながら、今日に至るまで確固と
した原発阻止のconsensusを築けないのです。

*福島原発事故に関する東電の責任者の答弁で、当然予め
なすべき充分な防御安全対策を怠っていたにも拘らず
<同事故が同社の想定を超える大きな津波であったため>と
責任逃れの言い訳をした事実は加害者としての責任感の欠如と
同時に権力者側が国民をいかに軽視し見下しているかという
日本の政治・社会構造の典型を示しています。

5.4 官僚と電力大手会社の思うまま:
このように、日本では中央官庁の官僚に国の実質的な行政
権限が集中していて、国民の側に立ち常に彼らの行政内容を
検証し、糾弾できるチェック機能を持つ機関が存在しません。

このため、日本が世界最大級の地震国であるにもかかわらず、
原発のとりわけ大きな危険性が問いただされる事も無いまま、
国策としての原発が推進され、政治家・官僚・電力会社・
重電機製造メーカーの利得権と天下りの構図が問い詰め
られることもありません。それどころか、既述の通り、
事故を起こし当然倒産すべき東電は政府から国民の税金に
よる資金援助を受け続け、さらに2012年から電気料金を
値上げして大事故による資金不足の補充の一部にする計画を
実施しようとしています。

このような無謀極まりない目にあっても日本国民の大部分には
未だに政治家、官僚、関連企業に対し立ち上がり、彼らを
糾弾する様子がありません。

5.5 学者・医者の大部分は見て見ぬ振り:
原発の測り知れない被害と危険性を一番良く知る立場にあり、
それを国民に伝え反原発の意思表示をして責任ある行動を取る
べき原子物理学者、医学者、医者、生物学者の大部分は、
上からの圧力をおそれ、保身の為、見て見ぬ振りをしています。

6.原発阻止は実現可能か?:

6.1 現状のままでは困難:

Tschernobylや福島の甚大な原発事故(勿論その他の
数々の原発事故も含め)により反原発運動が市民レベルで
大きくなってきてはいるものの、既述の通り、現状では、原発が
中止、廃止に向かう傾向は、一部の例外(:ドイツ、スイス、
イタリア等)を除き、見受けられず、むしろ増加の見通しと
成っています。

つまり、世界中の原発保有国に住む大部分の一般市民は、
(1)原発の危険性についての充分な知識を持たない、
あるいは、
(2)自身も含め身辺に原発の被害の直接の経験者がなく、
原発そのものに問題意識をもたない、といった理由で黙認して
います。

さらに原発阻止が困難な主要な理由は<力>関係です。
原発推進派は一部例外を除きどの国でも政府与党、国家官僚、
大手電力会社の結束による排他的独占グループであり、
政治的経済的軍事的利権の為に原子力の利用を、その未曾有
の環境破壊・人命被害の危険性にもかかわらず最優先させ
続けており、その背景では、原発が軍事利用と表裏一体の
関係になっています。従って彼らは、一貫して、いかなる
代償を払おうとも原発を推進する意向であり、国民には、
原発の持つ危険性・被害内容を極力秘匿乃至過小に報告し
事実を歪曲し続けています。

6.2 日本における特殊事情:

(1) 日本においては、戦後の原発発足以来、

<大手電力会社及び大手原子力関連重電機メーカーから
与党政党乃至政治家への政治資金提供とその見返りとしての
政治・行政による独占的事業権の保護と支援>
および
<官僚(特に経済産業省=旧名:通産省)と同企業グループ
との間の癒着>

が常習化しており、そう云った中で、この3者結束グループ
が、原発に関する行政権を掌握している為、現状のままでは、
これを是正し、原発廃止を実現させる手立てが国民の側に
存在しません。

(2)大多数の国民の政治意識と問題意識の欠如:
<その国の政治はその国の国民そのものを反映している。>

勿論今回の原発事故で、近来の日本としては珍しく、
数万人規模のデモも行われ反原発の積極的な意志表示と
行動が見受けられるようになりましたが、国民全体から
見ると、まだ例外の域を出ません。

大部分の国民の反応は、以下に大別されます:

a. 大半の反応として、
国民の大半が、原子力の汚染によるさまざまな被害を
詳しく知らず、また、知ろうと努力せず、
1)現時点ではその被害が自分や自分の家族に及んでいない、
2)被曝の具体的な被害の多くが長期間を経てから顕在化する
為(各種ガンの発生、遺伝障害による出産児等々)、とくに
危険な地域(本来ならもはや住むべきでない福島及び近隣県域)
に現在在住している人たち(特に乳児・幼児の被曝被害の
危険率は大人の10倍以上)にまだ顕著な体調異変の症状が
ない等の理由から、身近に大きな危機感や問題意識を持つ迄に
至らず、敢えて自らはっきりとした態度表明をせず、結果と
して原発を黙認してしまっています。(内心では、―できれば
反原発― が大部分をしめていても、それを積極的に表明
しようとはしません。)
b. <職業上、直接/間接に原発にかかわっている>の理由から
積極的乃至消極的に原発に賛成する派。
c. 原発による電力を経済政策上必要と判断する原発賛成派。
(この人たちは原発が、実は当然入れるべき事故被害リスク
金額を入れると一番高価な発電方法である事実を ―意識的?
無視しています。)
注:事実は被害リスク金額が大きすぎ、引き受ける保険が
ない。それを承知で、万一の場合は国が税金で肩代わりする
という暗黙の了解の上に成り立つ論理。
d. 経済外交政策上 ―特に輸出― 原発の開発・製造技術
の維持が必要と判断する原発賛成派。
e. 軍事防衛政策上抑止力としての原子力軍事利用の体制維持
の為に原発を推進すべきとする賛成派。
f.  原発にかかわってはいないが、反原発を公に表明すると
研究費のカットや、公職を失うか冷遇される事を危惧し、
内心反原発であってもそれを表明しようとしない(学者・
医者・公務員・教職者・等々)原発黙認派。

上記a.f.に対し、積極的に反原発を表明し、行動している派:
g. 福島原発事故で直接被害をうけている福島県及び近隣県域
の市民の多くが、原発反対を表明し、そのうちの一部はデモ
その他の抗議運動をしています。同市民の被害内容は、
1)被曝によって今後顕在化しうる身体上の深刻な被害 
2)放射能汚染による経済的および社会環境上の損害  
3)放射能汚染によって半永久的に破壊された自然環境
h. 20台から40台を中心とする若い女性、特に、乳児・幼児を
子供に持つ母親が切実な問題意識から、自ら原発の危険性、
放射能汚染の被害内容について調べ、強い危機意識を持って
原発反対を表明し、或いは又具体的な反対活動をしています。
そのうち一部はデモその他の抗議運動もしています。
i. 福島の原発事故地点から離れ、直接の被害から免れた地域に
住む一般市民の内の大部分は上記a.の無関心乃至黙認派に
属するものの、一部は(国民の全体数からすればごくわずか
ですが)原発の危険性を強く自覚し、積極的に反対を表明し、
或いは又それに伴い具体的な反原発活動をおこなっています。
j. 原発事故による放射能汚染とその被害について各々の仕事の
立場から詳しい専門的知識を有する人達 <即ち、物理学者、
医学者、医者、生物学者等>のうちの一部は、その反対運動に
より行政機関から受ける圧力や妨害の恐れにも拘らず、専門家
としての道義的立場から、自ら積極的に、その<取り返しの
効かない原発の危険性>を訴え、反原発を呼びかけています。

6.3 原発阻止への道:

既述の通り、原発は世界の主要国で原子力利用という全体の
枠組みの中で、軍事利用と共に<国策>として取り扱われて
おり、各国共それぞれ政府・行政機関と原子力に関連する巨大
企業が結束してこれを推進しています。そしてさらにこれらの
原発保有国は互いに原子力の利権を確保するという共通の目的
の為に国際組織<IAEA>を共有し、巨大な国力と経済力を背景
にこれを支援しています。つまり、原発に関する情報はこれら
の国家機関や組織によってほぼ独占的に管理されている為、
<不正操作>が容易に可能であり、都合の悪い情報は、秘匿
され公表されない事が多いのです。

さらにまた、こういう状況の中で、IAEAに対抗し、市民の
側に立って、原発の危険性と被害内容の詳細を検証し、その
是非を問い、場合によっては廃止させる権限あるいは影響力を
行使できるような公的機関乃至組織が存在しないのです。

従って、原発阻止への道は極めて険しく、これを切り開くには
唯一、原発を持つ各国の市民の大多数が国境を越え、結束して
行動し、反原発の圧力を高める以外にありません。

一言で言えば、大多数の市民が政治家に対し原発廃止の
公約を投票の条件にすれば、原発廃止の道が開かれる
でしょう。(ロシア・中国と言った非民主主義国は別ですが)

しかし、既述の通り、原発保有国の一般市民の大多数は、
その想像を絶する危険の傍で生活しながら、身近にある重大な
脅威としての問題意識を待っていない、というのが現状です。

つまり結論として、原発阻止の為には、大多数の一般市民の
意識改革しかありません。

それでは、それはどうやって可能なのかというと、
(1)放射能汚染がいかに危険で、その被害がいかに甚大且つ
   深刻なものか。
(2)原発無事故の保障はどこにも無く、原発がある限り、
   大事故はいつ何処で起きるかわからない。
(3)原発の大事故が引き起こす被害は原発企業の責任
   能力をはるかに超える為、企業は自ら責任のとれない
   事業をしていることになる。
(4)原発の危険性を考慮すると、原発ほど高くつく発電
   方法は無い。一旦大事故が起きれば、結果として被害者
   であるはずの国民が、税金でその膨大な損害費用を負担
   させられる事になる。
(5)さらに原発に加えて、原発を稼動させる限り、必ず
   発生する使用済み核燃料廃棄物というものがあり、
   その放射性廃棄物の中には、何十万年何百万年という
   長期間にわたり放射能を放出し続けるものもある。
   この極めて有害な核燃料廃棄物は無害化する事も
   出来ず、現在尚、その処理方法は、ただ地下深く
   埋蔵するといった無責任極まりない方法しか取ら
   れておらず、このままでは、地下深く無限に増え
   続けていく放射性廃棄物はそのままはるか将来の
   子孫に負の遺産として残す結果となっている。
   
という原発のもつ危険性を、<生活と環境を根底から破壊
されかねない重大な問題>として認識してくれるまで大多数の
一般市民に具体的にわかりやすく説得していく事によるしか
ありません。そしてそれにはくまなく広範囲にわたり組織的
に展開する専門的な啓蒙活動が必要です。

しかし、それができるのは、既に挙げたように、それぞれの
専門の仕事を通して原発の危険性を自ら熟知し、且つ道義的
立場から、既述のような啓蒙活動に積極的に賛同してくれる
物理学者、生物学者、医学者、医者といった人達しかありま
せん。

さて、ちなみに積極的に反原発の意思表示をしている医者は
現在アメリカ合衆国で数万人との事です。それでは、放射能
汚染にくわしくそれぞれの専門的視野から反原発を表明して
いる原発保有国すべての物理学者、医学者、医者、生物学者
等が手をつなぎ共通の道義的理念のもとに、原発推進の
国際代表機関である<IAEA>に対抗できる<反原発国際科学者
協力機関>を設立し、反原発啓蒙運動の目的、目標、活動内容
を取り決め、それぞれの原発保有国で、memberの人達が協力し
合って全地域の市民にまでとどくような広域にわたる説得活動
を映像機器等を使いながら、定期的に各地で実施したらどうで
しょうか。また当然、各地での活動には反原発の市民グループ
等の協力も得られると思われます。

以上が私の原発の現状に関する見解の概略ですが、

私自身はこれをもとに具体的な第一歩として、
ドイツを活動拠点として<反原発国際科学者協力機関>を
設立し、そこからすべての原発保有国の科学者と連絡を
取り合い、原発廃止へ向けて各国市民の意識改革を促す活動を
展開出来れば、と考えております。

なぜドイツか、と云うと、
1)世界に先駆けて原発全廃を国策として決定し反原発国と
しての著名度が高い。
2)科学者の反原発意識が高い。(例えば、IPPNW Deutschland
Internationale Ärzte für die Verhütung des Atomkrieges/ Ärzte in
sozialer Verantwortung e.V.では、特にドイツ人医師の国際的な
反原発活動が盛んです)
3)クリーンな再生可能エネルギーを代替エネルギーとして、
その開発推進に力を入れており、同分野で世界の先端に位置
している。
4)本活動に協力を期待できる反原発の民間組織が多数存在
する。
等の理由があげられます。

この為、このような計画を検討、立案し、実行するには、
同国が最適と判断する訳です。

上記の案は、日本そして欧州での今までの生活や仕事を
通じて私なりに考えている原発の問題分析と原発廃止に
向けての効果的な取組み方法の極めて概略的な素案です。

そもそも私のような民間の1個人ではこのような素案を
考える処までで、この素案自体、複数の有能な協力者の
たたき台に置かれ、先ずその是非が問われなければなり
ません。そして、それから先の具体的な検討段階からは、
もはやかなりの賛同者の協力がなければ、不可能です。

いずれにしても私にとって当面の課題は、先ずドイツで私の
素案に賛同し協力していただける科学者を一人でも見つける事
ですが、現在までのところ、最初に期待していた方の協力が
得られず、思うように進んでいないのが現状です。

Tokyo, 3. Feb. 2012
小林 和彦